-
神と仏が共にある場所
かつて、日本では神様と仏様は同じ場所にお祀りされていました。仏教が大陸からやってきた頃、日本にはすでに神様がおり、仏教との融合を図るために神前で読経されたり神社の境内に寺院が建てられたりしました。神宮寺はその頃の名残を示しながら、現在も神と仏が共にある場所として私たちに伝えてくれます。
まず驚くのは、神宮寺の本堂に注連縄(しめなわ)がかかっていることでしょう。手を合わせた後、本堂の階段を上がったら、振り返りながら注連縄の内側から向こうの景色を見てみます。すると、注連縄のアーチと東側にそびえる山頂の見事に交わりが目に飛び込んできます。これは、何を示しているのでしょうか?
重要文化財にも指定される神宮寺の本堂は、室町時代の天文22年(1553年)に一乗谷に一大勢力を構えた朝倉義景による再建とされています。本堂の中にもゾウとバクのモチーフの屋根飾りが外側ではなく内側についていたり、なぜこの寺院を朝倉氏が再建したのか…?など、どこかミステリーにも似たような謎に包まれた空間です。 -
-
-
お水送りの始まりはここから
毎年3月12日に奈良の東大寺二月堂で行われる「お水取り」。この儀式に欠かせないはじまりの水は、神宮寺にあります。(お水取りとお水送りは、小浜から送られる「お香水」が「鵜の瀬」から10日をかけて東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされる春の行事です)
3月2日に行われる「お水送り」は神宮寺の境内で弓打神事が行われ、本堂の左手にある「閼伽井戸(あかいど)」で汲まれた水を、巨大松明を掲げた白装束の山伏たちによって鵜の瀬からお香水として流すのです。小浜と奈良がこのようにつながっているのは、仏教が伝来した頃からの強い絆と関係性があるからこそ。8世紀に始まった行事が1300年以上時を経て、人の手から手へ今も続いていることに尊い気持ちにさせられます。 -
-
-
御神体・御本尊は自分の目で見て確かめて
神宮寺にお祀りされている御神体と御本尊は、小浜の他の寺院とは異なり、撮影することはできません。また、内陣に入ることもできません。外陣に静かに腰を落ち着けて、ゆっくりと神仏の世界を見渡してみましょう。
神様と仏様が同居する場所…という言葉通り、この場所ではお参りをする時、柏手(かしわで)を打ちます。順番に見ていくと、須弥壇中心には大きな薬師如来坐像、それを取り囲む十二神将、左手には千手観音が安置され、その脇侍として不動明王と毘沙門天が立っています。さらに右手には神様の名が書かれた掛け軸がかけられ、まさしく同じ場所に同列で神様と仏様が祀られていることがわかります。
左手に掲げられた垂れ幕には「鈴」の紋が。これは神様が形を持たなかった頃、風が鈴の音を鳴らすことで神様の存在を確認していたことから神様を表すモチーフになったのだそう。明治時代になると、この神仏習合は廃仏毀釈という動きによって解体されて別々になってしまいましたが、心のどこかでは祈り合うものは一つ、と教えられているような気持ちがしてきます。 -
-