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小浜のまちで最も古い本堂
多田寺から向かって南西の同じく多田ヶ岳の麓にある「妙楽寺(みょうらくじ)」は、多田寺と同じく八世紀の創建とされ、その本堂は小浜市内で最も古い鎌倉時代の建立とされています。妙楽寺は、養老3年(719年)の奈良時代に、行基(ぎょうき)が自ら御本尊を彫って開基し、その後、弘法大師空海が延暦16年(797年)に再興したとされます。
駐車場のそばにある入り口で受付を終えたら、山門まで緑が生い茂るアプローチに沿って、ゆっくりと歩を進めていきます。秋は見事な紅葉で埋め尽くされます。小さなせせらぎに架かる朱色の橋を渡り、山門にたどり着くと「大悲閣」と書かれた大きな扁額(へんがく)が。これは一般的に観音様がお祀りされている寺院であることを示しています。左右には赤い身体と金色の装飾が鮮やかで迫力のある仁王像。柵の間からじっくりと眺めると、逞しさの中に親しみが受けられます。
さらに歩いていくと、緑のトンネルが抜けた先に光に囲まれて建つ本堂が浮き上がるように見えてきます。桧皮葺で寄棟造りの小ぶりな本堂は優雅さ穏やかさを持っており、市街地の喧騒を忘れさせます。 -
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千手観音の金と四天王の極彩色
本堂の中に入ると、多田寺に負けず劣らずの数の仏像が小さなお堂の中いっぱいに並んでいます。多田寺と同様、一度外陣でお参りしたら、内陣へ歩を進めましょう。
御本尊の二十四面千手観音菩薩立像は、昭和まで秘仏として三十三年に一度の御開帳でのみ厨子が開かれていたため、平安時代の作とは言うものの表面の漆箔がまだしっかりと残っています。また、細やかな手や指の仕草、宝具なども欠損が少なく、神々しいまでの存在感を放っています。
左右を取り囲む四天王像は着彩も非常によく残っており、青と赤にべったりと塗られたお顔に映えるぎょろりとした目玉。かつての四天王たちはこんなにもはっきりとした極彩色に彩られていたのかと思うと、お寺に対するイメージは当時と現在とでは大きく異なることに気づくはずです。 -
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さらに、ぐるりと回って後陣へ
そして、御本尊の右手にはもう一体の観音菩薩立像がお祀りされています。こちらも平安時代の作と伝えられ、観音菩薩の身体を覆う衣の流線はとても美しくはっきりとした彫技には目を見張るものがあります。
もう一つ、逗子の正面からちょっと上の方を見てみましょう。すると、扇や円を象った「懸仏(かけぼとけ)」と呼ばれる装飾があるのがわかります。これらは南北朝や鎌倉時代によく作られたもので銅製です。いわゆるレリーフのような作りで、小さく彫られた仏様がとてもかわいらしく感じられます。
内陣を堪能したら、ぐるりと回って「後陣(こうじん)」に入ります。奈良の東大寺のように大仏様を一周できるような大きなお寺と違い、一般的には後陣にも御住職以外は入れないことが多いもの。しかし、小浜のお寺はこの後陣を巡ることができることが多く、とても貴重な体験ができます。
後陣の天井近くにずらりと並ぶのは、江戸時代の作と言われる二十八部衆。これは千手観音の眷属(けんぞく)と呼ばれる従者的な神様で、迦楼羅(かるら)や阿修羅(あしゅら)のほか、持国天や増長天、風神、雷神なども加え、錚々たるメンバーが集います。千手観音のあるお寺を訪れたら、二十八部衆も一緒に探してみましょう。 -
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子どもを見守る地蔵堂
本堂を一通り見終わったら、左手にある地蔵堂へ。こちらは中へ入ることはできませんが、お堂の前で参拝を済ませたら小窓から中をそっと覗いてみましょう。すると、金色に輝く大きなお地蔵さまが祀られています。壁一面にびっしりと千体仏に埋め尽くされた空間は圧倒的です。特に地蔵菩薩には、子どもに関するご利益があるとされ、お堂には「健康に育ちますように」といった願いが書かれたたくさんの絵馬が掲げられています。
多田寺と併せて、多田ヶ岳の麓に住む小浜の村の人々が脈々と受け継いできた「空間」と呼ぶにふさわしい妙楽寺。簡単に積み重ねられることではないと気づいた時、自然と手を合わせている自分でありたいものです。 -
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