-
大空に鳳凰が飛来する霊地
若狭塗箸の工場が立ち並ぶ小浜湾に面する西津地区からほど近い羽賀山の麓に、霊亀2年(716年)に行基が天皇の勅令によって創建したとされる「羽賀寺」があります。近隣の子どもたちのあそび場所にもなっているという羽賀寺は、そびえる木々を抜け石階段を上った先にひっそりと佇んでいます。
かつてこの地に鳳凰が飛来して羽を落していった霊地と言われ、そこから「鳳聚山(ほうしゅうさん)」と名付けられました。春は八重桜、初夏は紫陽花、秋は紅葉と、羽賀寺の本堂に続く参道も四季折々の彩りを見せ、その風景を楽しみに来る人も少なくありません。
まず、本堂にお参りする前に、左手の鐘楼で鐘をつきましょう。この場所に来たことをお知らせし、ゆっくりと手を合わせるご挨拶をします。ただし、作法に反するため帰る時に鐘をついてはいけませんので、注意しましょう。腰を入れて、思い切り鐘をつくと、羽賀山にゴーンという深い音が響き渡ります。 -
-
-
女帝の御影を伝える十一面観音菩薩
羽賀寺の御本尊である十一面観音様は、とても艶やかなお姿をしています。身体の黄、衣の朱や緑などの彩色がよく残っており、その赤みさす表情は平安初期の仏像で女帝である元正天皇の御影と伝えられています。ヒノキの一木造で、高さは1.46mと等身大にも近く、まるで女帝が目の前に現れたかのような存在感を放ちます。
頭上に付随している十一面の化仏は、悟りに至るまでの十一の段階を表しており、細やかな表情に驚かされます。また、下へ向かっておろされた右手は異様に長く、一人でも多くの衆生を救おうとする観音菩薩の祈りが見て取れます。
十一面観音菩薩の脇侍には、二体の菩薩像があります。向かって左が千手観音菩薩、右が文殊菩薩の立像です。千手観音菩薩は松林寺の本尊として造像されたことが書き記されていて、この羽賀寺に移されたと言われています。文殊菩薩の来歴は不明ですが、通常は吉祥天と対をなして脇侍となります。羽賀寺では毘沙門天のみで、うっすらと残る彩色から青みを帯びた美しさが偲ばれます。 -
-
-
羽賀寺のことをゆっくり話して
羽賀寺を管理するのは御住職夫婦。おかみさんは毎日空を見上げては、鳳凰や龍が舞い降りる瞬間を探していると言います。羽賀寺の空に浮かぶ雲が変幻自在に形を変えていき、時折、大きな羽を広げた鳳凰のような姿を現してくれるのです。
羽賀寺の由来や四季の移ろいのこと、生活のことなど、他愛もない会話ができることもあります。寺院の中で御本尊に対峙して自分自身と語り合うのも良い時間ですが、一度空を見上げて、鳳凰が飛翔しているか探してみるのも良いのではないでしょうか。 -
-